いきいき唐津株式会社

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2024.06.21 お知らせ プレス

【役員変更のお知らせ】代表取締役兼CEO甲斐田晴子よりご挨拶

第15期いきいき唐津株式会社の株主総会及び取締役会にて、下記の通り役員が、選任され就任いたしましたので、お知らせいたします。

代表取締役 会長 木下修一
代表取締役 社長 甲斐田晴子
取締役      坂本武政

今後、この陣営をもちまして、会社の発展に一層精進してまいりますので、引き続きご指導ご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。下記に当社の15期株主総会にて、新たに代表取締役に就任した甲斐田の挨拶全文をもって、皆さまへの挨拶に代えさせて頂きます。

第15期いきいき唐津株式会社株主総会 甲斐田晴子代表取締役兼CEO就任挨拶全文紹介

こんにちは、ご紹介に預かりました代表取締役に選出された甲斐田です。株主の多くの方が、長年顔見知りの仲ではございますが、代表取締役に就任にあたり、改めて皆様に一言ご挨拶申し上げます。

これまで、何故甲斐田はあんなにがむしゃらにまちづくりをやるんだろうかと、思われてきた方もいるかもしれません(笑)。その理由について、この機会にお話できればと思います。

まずは、私のまちづくりの原体験についてお話をさせて下さい。それは、妹がバイオリニストをしておりまして、中学校3年生の頃に、母と私と妹3人でイタリアのクレモナというバイオリンづくりの街に訪れたときの体験でした。

既に少子高齢化の進んだ小さな街でしたが、とにかく人が明るく幸せそうに暮らしていました。朝昼晩と決まったところに人が集まり、おじいちゃんおばあちゃんでも、一人暮らしでも、孤独ではなく、楽しそうに暮らしている。

当時の日本は、バブル経済が崩壊し重たい雰囲気の中、日本の少子高齢化や人口減少が進むことについて、大きな警鐘が鳴らされていて、中学生ながらにこれからとても暗く大変な時代がくるのだろうと思っていた私は、クレモナの光景がとても心に残り、「人が幸せであるとは事一体どういうことだろうか?」と言う問いが生まれました。

そんな原体験を経験した後に、高校2年生の時に地元の佐賀県立唐津東高校に「編入」と言う形で戻って参りました。私は、中学からは福岡女学院というキリスト教系の私立に進学し、寮生活を送っていたのですが、生まれ育ちは唐津の坊主町なんですね。祖父が戦後、医院を開業し、病院兼自宅がそこにありました。ですので、幼い頃から、自宅から「有礼坂」を登って、当時のまいづる デパートや商店街に遊びに行ってました。小学校3年生の頃に鏡地区に転居して以来、商店街に行く機会は、めっきり減っていましたが、高校で唐津に戻ってきて、再会した唐津の町、商店街の姿は、私が幼い頃見てきた姿と全く違うものになっていました。

かろうじてその体裁は保っていながらも、衰退していく足音が聞こえるようでした。自分の慣れ親しんだ街がこんなにも短い期間で変わっていくのかと危機感を覚えるのと同時に、クレモナの原体験が結びつき、これからどのような時代を迎えようとも、故郷が、人が幸せにあり続けることに対して、何か私にできる事は無いだろうかという思いに駆られました。

それから、大学や大学院への進学、留学、就職、ビジネススクールなど、様々な体験をしてきましたが、それは、全ていつか自分の体験を自分の町に持って帰ろうと、いわば「遣唐使」のような思いでした。

そして、その機会は思いのほか、早く訪れました。それが、2011年に訪れたいきいき唐津のとの出会いでした。

実は入社した2011年は、たまたま唐津にいただけのことだったのです。当時、早稲田大学の法科大学院に進学し、弁護士を目指していた私は、一身上の都合で一時休学をし、当時幼い長男とともに里帰りをしていました。

大学院への復学を考えいていた最中、3.11(東北大震災)が起こりました。そこで、しばらく唐津の滞在を延長することを決めた矢先に、いきいき唐津の求人情報を知りました。もともと、まちづくりに関心のあった私にとっては、現場を知る良い機会だと思いました。しかもその内容は、当時いきいき唐津の事業が、市からの業務委託や補助事業が大半を占めていたため、1年間の期間限定の臨時雇用でしたので、大学院に復学する可能性を考えると、かえって好都合でもありました。

実はまちづくり会社の制度については、大学で地域活性化などについて学び知っていました。私が大学に入学した2000年ごろ、人口減少や少子高齢化が進む中で、国はコンパクトシティーや地方分権を推し進め、三位一体の改革という名のもと、国から地方へ財源や権限を移譲し、地方が独自に地域の特色を活かした行政サービス、商業、観光創出、教育福祉の実現できるようにと、大きな制度の方向転換の舵がきられているところでした。そんな中、中心市街地活性化法案が改正され、「まちづくり会社」という制度ができたことは学んでいたのです。だから”あのまちづくり会社が唐津にできたのだ”、という喜びと好奇心を胸一杯に、採用試験を受けに行ったのを覚えています。

もともと市からの委託業務で期間雇用の事業に応募し、入社したつもりだったのですが、しばらくすると、木下代表から、当時増資をしたばかりの資金を元本に、市民のニーズに応えるためのカフェや映画館をやってくれないかと、全ての裁量は甲斐田さんに任せるから、と相談がありました。

入社して2ヶ月後に、飲食店の立ち上げ経験もない私に、約2,000万円の予算と飲食店の企画、設計、メニュー開発、人材採用・育成まで全てをやって欲しいと相談されたのは衝撃でした。しかも、カフェのオープンまでの準備期間は3ヶ月半ほどという無謀な話でもありました。

一方で、長年まちづくりに取り組みたいと思っていた私には、その挑戦は、自分がどこまでやれるかを試すことができる、またとないチャンスだと興奮しました。また、唐津の男性社会や年功序列の文脈は、想像よりはるかに根深く強烈で、私のような人間がこの町で活躍するのは大変難しいだろうと痛切に感じていたところ、入社したばかりの30歳そこそこの女性を、そこまで信頼し任せていただけるのがありがたく、是非その期待に応えたい、応えなければ、そしてこれから唐津で女性や若者が活躍していく道を切り開いていきたい、そういう想いが湧きおこりました。

そこから、途中で躓きながらも、がむしゃらに走って走って走って今に至ります。株主の皆さまもご存知の通り、今に至るまで、想像を遥かに超えるような理不尽や試練にぶつかりました。

その度に、「私たちの会社は何のために在るのか」、そして「私は何故唐津に留まるのか、どのように生きていきたいのか」という問いと向き合ってきました。

そしてどんな事があっても、私が前を向き歯を食いしばって頑張り続けた理由には、大学生の時に抱いた決意がありました。

20年ほど前、大学に入学し学んで驚いたことは、実は私たちが今経験しているような地域の衰退は、経済の自由化やグローバル化が進み、日本の基幹産業が第二次産業から第三次産業へ移り行く中では、都市に人口が集中していくことは必然的なことで、予測されていたのでした。それによってどのようなことが起こり、どのような政策をすべきかなど、約20年前の大学の授業で、既にあらゆることが提唱され、そして同じようなことが、言葉を変えながら今でも言われ続けています。

こんなにもやるべきことがわかっているのに、なぜそれが実現できないのか、都市と地方の格差は広がっていくばかりなのか、大学では地団駄を踏む思いで学びながら、私が辿り着いた一つの答えは「人材格差」でした。

何をすべきかがわかっていたとしても、それにコミットする人材が地方には圧倒的に不足していると言うことです。そのことに気づいたからには、評論家ではなく、学者でもなく、実践する人間になろうと決意がありました。また、人生をかけて情熱を持って取り組んでいる仕事を諦めることは、私自身のそして、子供達の未来に対してできることを放棄するようなことでもありましたので、自分のためにもここ唐津に根差し続け、前に進み続ける覚悟を胸にこれまで歩んできました。

もちろん、それだけが私が唐津に留まる理由ではありません。

本当に唐津は心から素晴らしい町だと思っています。私はこれまで福岡や京都、東京、フランスと様々な地域で暮らしてきましたが、これほど歴史や伝統が深く、花鳥風月を感じ、食に恵まれた地域は稀有な存在です。

大変なことがあっても、幼いころから見てきた海を眺め、潮風を浴びれば元気になることもありますし、お茶を立てて唐津焼を手に握りこみゆっくり一服いただけば、エネルギーが充足していくこともあります。

この町には、人が生きるエネルギーを与えてくれる土地の豊かな力があると思っています。私を育ててくれたこの町に恩返しするような思いで、何とか唐津のポテンシャルを最大限に引き出し、豊かな未来を感じる素敵な町をつくっていきたいと常々思っています。

また、これまで様々な苦境を救ってくれたのは、共に同じビジョンを持って取り組む会社のスタッフ達でもありました。私は前職でリクルートという会社で求人広告の企画営業をしておりましたが、人材採用の現場を通して、いくら良い事業計画、良いビジョンがあっても、適切な人材採用ができなければ、それらが結実しないということを目の当たりにし、「良い人材の採用と育成こそが、会社の最も大切なことである」と肝に銘じ、力を入れてきました。

そうして会社のビジョンに共感し集まったスタッフたちが、苦境に立たされる度に、会社のこれまで歩んできた道と未来を信じ、会社に伴走してくれ、前に進む勇気をくれました。

そして、私達よりもずっと、ずっと前から唐津に根差し、何とか唐津を良くしようと思い、取り組んで来られた株主の皆様がいらっしゃったからこそ、まちづくり会社いきいき唐津は誕生しました。そして、唐津のためならと、何の見返りもなく、惜しみなく、設立当初から今まで、会社の後ろ盾として木下代表、辻取締役が長く会社を支えて下さいました。

代表になり、改めてその事に大きな敬意と深い感謝の念を抱きながら、株主の皆様が私たちに期待して下さっている唐津の活性化を実現していけるように、精一杯精進しまいりたいと思いますので、今後ともご指導、ご支援を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

代表取締役社長 甲斐田晴子 
>>甲斐田晴子のプロフィールをみる

いきいき唐津株式会社
〒847-0045
佐賀県唐津市京町1783 KARAE1階
TEL 0955-72-3278(10:00-17:00)
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